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浦和地方裁判所 平成7年(ワ)449号 判決

原告

大熊富美

右訴訟代理人弁護士

山本正士

竹内朗

被告

協栄生命保険株式会社

右代表者代表取締役

大塚昭一

右訴訟代理人弁護士

冨永敏文

関口保太郎

脇田眞憲

吉田淳一

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告に対し、金一四一〇万五〇〇〇円及びこれに対する平成六年二月一五日から支払済みまで年六分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行の宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  被告は、生命保険及びその再保険を業とする会社である。

2  埼玉県教育公務員弘済会は、被告との間で、平成五年三月一日、左記の約定の保険契約(以下「本件契約」という。)を締結した。

(一) 勤労保険

(1) 被保険者 大熊利治(原告の長男、以下「利治」という。)

(2) 保険金 一三六〇万五〇〇〇円

(3) 死亡時の保険金受取人 原告

(4) 保険料 九〇〇〇円

(二) 癌死亡保険

(1) 被保険者 利治

(2) 保険金 五〇万円

(3) 受取人 原告

(4) 保険料 二〇七五円

3  利治は、平成六年二月一四日、胃癌により死亡した。

4  よって、原告は、被告に対し、本件契約に基づき、2の保険金合計一四一〇万五〇〇〇円及びこれに対する被保険者利治死亡の日の翌日である平成六年二月一五日から支払済みまで商事法定利率年六分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

すべて認める。

三  抗弁(告知義務違反による契約解除)

利治は、本件契約にあたり、被告に対し、悪意又は重大な過失により重要な事実を告知しなかったから、被告は右告知義務違反を理由に本件契約を解除した。

1(一)  本件契約に係る約款(以下「本件約款」という。)には、商法六七八条一項本文と同旨、すなわち被保険者が被告から書面(告知書)で告知を求められた事項(告知事項)に関し、悪意又は重大な過失により重要な事実を記載しなかったか、重要な事項について不実の事を記載したときは、被告は本件契約を解除することができる旨が定められている。

(二)(1)  利治は、国立療養所東埼玉病院(以下「東埼玉病院」という。)において、平成五年一月二八日、胃の痛み(空腹時の心窩部痛)を主訴として診察・投薬を受け、同年二月四日再度診察・投薬を受けた。

(2) 利治は、同年二月二二日、本件契約に係る告知書(以下「本件告知書」という。)を作成し、本件告知書中の告知事項のうち最近の健康状態に関する「最近三ヶ月以内に、医師の診察・検査・治療・投薬を受けたことがありますか。また、その結果、検査・治療・入院・手術をすすめられたことがありますか。」との質問事項(以下「本件質問事項」という。)に対し「いいえ」と記載し、右(1)の診察・投薬を受けた事実を記載しなかった。

(三)  右(一)の重要な事実とは、保険者がその事実を知っていたならば契約を締結しないか、少なくとも同一条件では契約を締結しなかったと客観的に認められるような被保険者の生命の危険を予測する上で影響のある事実をいうものと解すべきところ、告知書に質問事項として掲げられている事項は一般的にすべて右にいう重要な事実と一応推定されるべきものであるうえ、本件においては、本件質問事項に対し、利治から前記診察・投薬を受けた事実が告知されていれば、被告としては、東埼玉病院の担当医師から事情を聴取し、利治の受診時の主訴が胃癌罹患者の典型的自覚症状である空腹時の心窩部痛であることから、検査の結果を待って本件契約を締結するか否かを判断し、検査結果は胃癌であったので右締結に至らなかったはずであるから、利治が右診察・投薬を受けた事実は、前記重要な事実に該当する。

(四)  利治は、本件質問事項に回答するにあたり、自らその直前に胃癌罹患者の典型的自覚症状である空腹時の心窩部痛を訴えて前記(二)(1)のとおり二回にわたり東埼玉病院で診察・投薬を受けていたのであるから、右事実が本件質問事項に対する告知事項に該当すると認識していたか(右事実が被告の契約締結可否の判断に影響する重要な事実に該当することの認識は不要である。)、少なくともこれを認識することが極めて容易であったというべきであり、利治には、右事実を告知しなかったことにつき右(一)にいう悪意又は重大な過失がある。

2  被告は、原告に対し、平成六年六月二九日に到達した書面をもって、商法六七八条一項本文及び本件約款の規定に基づき、利治の右告知義務違反を理由に本件契約を解除する旨の意思表示をした。

四  抗弁に対する認否

1(一)  抗弁1(一)及び同(二)は認める。

(二)  同(三)は争う。

利治が東埼玉病院で訴えた胃の痛みないし空腹時の心窩部痛は、必ずしも胃癌罹患者に特有の自覚症状というわけではなく、それが胃潰瘍、軽微な胃のただれ等の症状でもあることは一般的な常識であり、利治の担当医師も単純・軽微な胃痛と判断して一般薬を投与していたものである。そして、利治に胃癌の疑いがあるとの診断がされたのが内視鏡検査の行われた平成五年三月二三日(告知日の一か月後)であるという時間的関係に照らし、仮に、被告が、利治から本件質問事項に対する正しい告知を受けて同病院に問い合わせ、診断書を取り寄せたとしても、利治の心窩部痛による受診と投薬の事実を把握し得ただけであり、検査結果が出るまで本件契約締結を見送ったであろうとは到底考えられず、そのまま右締結に至っていたはずである。したがって、右事実は、商法六七八条一項本文ないし本件約款にいう重要な事実に該当しない。

(三)  同(四)は争う。

利治は、東埼玉病院で受診するまで、県立高校の教諭として勤務し、校内課外活動のテニスクラブの指導を担当するなどし、約一年前の胃の透視検査でも異常がなく、健康な生活を送ってきたものであり、右受診時においても、単なる胃の痛みを感じていただけで、担当医師からも軽微な罹患との認識で一般薬を投与され、特別の診断も下されなかった。これらの事情に照らし、利治としては、平成五年二月二二日の本件告知書作成の時点で、自己の胃の痛みないし空腹時の心窩部痛という症状(それが必ずしも胃癌罹患者に特有の自覚症状というわけでないことは前記のとおりである。)が胃癌等の致命的疾病からくる危険かつ異常なものであるとの自覚を全く有しておらず、また、医学的知識のない同人にとってそのような自覚を持つことも容易でなかったというべきであり、右自覚を欠いたため、利治は、前記診察・投薬を受けた事実が本件契約に際し被告に告知すべき重要な事実であることを知らなかったし、同人にこれを知らないことにつき著しい注意義務違反はなかった。したがって、利治には、右事実を告知しなかったことにつき前記条項ないし本件約款にいう悪意又は重大な過失は認められない。

2  抗弁2のうち、被告が原告に対して原告主張の日に到達した書面をもって本件契約を解除する旨の意思表示をしたことは認めるが、その余は否認する。右書面による本件契約解除の理由は、「加入前より死因である胃癌の治療歴があったのに加入時その告知がなかったこと」であり、被告が本訴において主張する解除理由(本件質問事項についての告知義務違反)と異なるから、右書面による解除の意思表示は無効である。

五  再抗弁

1  解除権の除斥期間経過による消滅

(一) 本件約款は、告知義務違反について、被告が解除原因を知った日からその日を含めて一か月以内に解除しなかったときは解除権が消滅するとの除斥期間の定めをしている。そして、右にいう「被告が解除原因を知った日」(除斥期間の起算日)とは、本件契約の締結ないし告知義務違反による解除権行使につき判断権限を有する被告の関東総局が解除原因を知った日であると解される。

(二) 被告の関東総局は、平成五年一一月下旬ころ、利治から提出された本件契約に基づく入院給付金の請求書を受理したが、これに添付されていた入院証明書に、利治の初診日が同年一月二八日と記載されていたことなどから、告知義務違反の疑いがあるとして、同年一二月一七日、右請求に係る関係書類をそのまま利治に返送した。

(三) したがって、被告の関東総局は、同年一二月一七日までには、利治の告知義務違反による本件解除原因の存在を知ったものであり、被告の解除権は、遅くとも同日から一か月後である平成六年一月一七日には除斥期間の経過により消滅した。

2  解除権の放棄

被告は、右のとおり平成五年一二月一七日までに右解除原因を知ったにもかかわらず、その後も平成六年二月分まで利治から保険料を受領しており、右保険料の受領により、解除権を放棄した。

六  再抗弁に対する認否

1(一)  再抗弁1(一)は認める。

(二)  同(二)は否認する。

被告の関東総局は、原告主張の入院給付金請求書や入院証明書を受理しておらず、それらを受け取り、返送したのは告知義務違反による解除権行使につき判断権限を何ら有しない外務員である。同総局が本件契約の解除原因である告知義務違反を知ったのは、原告から提出された本件保険金の請求書、死亡診断書等を受理した平成六年五月三一日であり、被告は、抗弁2のとおり、同日から一か月以内である同年六月二九日に本件契約を解除している。

2  再抗弁2は争う。

第三  証拠

本件訴訟記録中の証拠に関する目録の記載を引用する。

理由

一  請求原因について

請求原因事実は、すべて当事者間に争いがない。

二  抗弁(告知義務違反による解除)について

1  抗弁1(一)及び同(二)の事実は、当事者間に争いがない。

2  そこで、抗弁1(三)、すなわち、利治が同(二)のとおり告知しなかった東埼玉病院での診察・投薬の事実が、商法六七八条一項本文ないし本件約款にいう重要な事実に該当するかにつき判断する。

(一)  争いのない右事実に、成立に争いのない甲第九号証、第一〇号証の三、乙第二号証の一中、表紙裏面の生命保険契約申込書部分、同号証の二、証人山本希容子の証言により成立の認められる甲第四号証、証人柿沼淳子の証言により成立の認められる甲第一一号証の一及び証人柿沼淳子の証言を総合すると、以下の事実が認められる。

(1) 利治(昭和二二年七月二二日生)は、県立高校の教諭として勤務し、校内課外活動のテニスクラブの指導を担当するなど、健康面で特に異常のない生活を送ってきたが(平成四年五月勤務先の集団検診で受けた胃の透視検査でも異常がなかった。)、平成四年一二月初旬ころから胃の痛み(空腹時の心窩部痛)を自覚し、平成五年正月妹の柿沼淳子にその旨を訴え、同年一月二八日、総合病院である東埼玉病院(自宅から車で二、三十分の距離にある。)の内科で診察を受けた。利治の主訴は空腹時の心窩部痛であり、医師の触診によれば心窩部に圧痛が認められたが、特別な病名の診断は下されずに、七日分のいわゆる胃薬が投与された。さらに、利治は、同年二月四日、再度同病院内科で受診し、経過観察のため、同じ胃薬を二週間分投与された。

(2) その後、同年二月二二日、本件契約の申込書が作成され、利治は本件告知書を作成して右申込書に添付し、同年三月一日に本件契約が締結されたのであるが、利治は、同年三月一一日、同病院内科で三度目の診察を受けた上、検査の目的で外科に回され、消化器系の専門医の診察、血液・便尿の検査を受け、胃の内視鏡検査の予約がされた。そして、同月二三日、右内視鏡検査が行われ、その過程で担当医師が胃癌の疑いを持ち、細胞検査も行われた結果、同月三一日までに、利治が胃癌に罹患しているとの診断が下された(右診断は利治には告げられていない。)。

(3) 利治は、同年四月一九日に入院し、同月二八日に胃の全摘出手術を受け、手術後、同年五月二八日退院したが、同年一二月一七日再入院し、平成六年二月一四日、胃癌により死亡した。

(二) ところで、前記重要な事実とは、保険者がその事実を知っていたならば契約を締結しないか、少なくとも同一条件では契約を締結しなかったと客観的に認められるような被保険者の生命の危険を予測する上で影響のある事実をいうものと解すべきところ、右(一)に認定した事実に、成立に争いのない甲第一二号証により、心窩部痛は、その原因としていくつかの疾患が考えられ、それが胃癌罹患者に特有の自覚症状であるとは言えないが、胃癌もその原因となりうる一疾患であると認められることをあわせれば、利治が平成五年二月二二日に(当時は経過観察中であった。)本件質問事項に対し、右の(一)(1)の二度の診察・投薬を受けた事実を告知していれば、被告としては、東埼玉病院の担当医師から事情を聴取する手続をとり(証人細川隆の証言によれば、被告においては、右のような告知がされた場合、所属の診査医が当該医療機関の担当医師から診断書を取り寄せるなどして事情を聴取する手続がとられる仕組みになっていることが認められる。)、その結果、同病院における利治の受診・治療・検査等の状況を知ることができ、利治の症状の原因の特定を待ってから本件契約を締結するか否かを判断したはずであることが十分推認され、その原因が胃癌であることが判明すれば、本件契約を締結しなかったと認めるのが相当であるから、右診察・投薬を受けた事実は、前記重要な事実に該当するものというべきである。本件質問事項に対して利治から正しい告知があったとしても、被告が本件契約締結に至っていたはずであるなどとして、右不告知の事実が右重要な事実に該当しないとする原告の主張は、以上に認定した本件の事実関係のもとでは到底採用することができない。

3 次に抗弁1(四)、すなわち、利治の悪意又は重大な過失について検討する。

利治は、平成四年一二月初旬ころからその原因として胃癌も考えられる空腹時の心窩部痛を自覚し、平成五年正月にその旨を柿沼淳子にも訴え、本件告知書作成前一か月以内である同年一月二八日及び同年二月四日の二回にわたり、これを主訴として東埼玉病院において受診していること、本件告知書作成当時、利治は、同病院で胃薬を投与されていただけであるが、右症状の原因ないし病名は特定されておらず(原告主張のように単純・軽微な胃痛と診断されていたとは認め難い。)、経過観察中であったことは、いずれも前記2(一)に認定したとおりであり、かつ、右のように経過観察中であることは、利治自身、本件告知書作成当時、これを認識していたか、少なくとも容易に認識し得たものと認めるのが相当である。これらの事実に、本件告知書である前記乙第二号証の二に「この書面による告知は、生命保険のご契約をお引き受けするかどうかを決める重要な事項です。必ず被保険者ご本人がありのままを正確にもれなくご記入下さい。」との記載がされていることなどをあわせ考えると、利治には、東埼玉病院で二度の診察・投薬を受けたという前記重要な事実を告知しなかっことにつき、少なくとも、商法六七八条一項本文ないし本件約款にいう重大な過失があると認めざるを得ない。

原告は、利治には、本件告知書作成の時点で、心窩部痛という症状が胃癌等の致命的疾病からくる危険かつ異常なものであるとの自覚がなく、その自覚を持つことも容易でなかったとして、右重大な過失の存在を争うが、先に認定・判示した本件の事実関係のもとにおいては、原告主張のような自覚の有無にかかわらず、利治につき右重大な過失を肯定すべきであり、原告の右主張は採用することができない。

4 被告が、原告に対し、平成六年六月二九日に到達した書面をもって本件契約を解除する旨の意思表示をしたことは、当事者間に争いがない。

そして、成立に争いのない甲第八号証、乙第三号証の一及び弁論の全趣旨を総合すれば、右書面において本件契約解除の理由が本件質問事項についての告知義務違反とされていることは明らかであり、それが本訴において被告の主張する解除理由と異なるとして、右書面による解除の効力を争う原告の主張は失当というほかない。

三  再抗弁について

1  再抗弁1(解除権の除斥期間経過による消滅)について

(一)  再抗弁1(一)は、当事者間に争いがない。

(二)  前記甲第一〇号証の三、成立に争いのない甲第七号証、第一〇号証の一、二、四、五、証人柿沼淳子及び同細川隆の各証言を総合すると、利治は、平成五年一一月下旬ころ、前記二2(一)(3)認定の同年四月一九日から同年五月二八日までの入院について入院給付金を請求するため、関係書類を被告の外務員に渡したこと、右関係書類中の東埼玉病院の同年一一月二九日付入院証明書には、利治につき、入院の原因となった傷病名・胃潰瘍、初診・平成五年一月二八日、手術名・胃全摘術との記載があること、同年一二月一七日、右関係書類が被告において使用している封筒に入れられて返送されたことが認められる。

(三)  ところで、右(一)のとおり、被告の関東総局が解除原因を知った日をもって解除権消滅の一年の除斥期間の起算日とすることは、当事者間に争いがないところ、原告は、利治からの右入院給付金請求の過程で、平成五年一二月一七日までには被告の関東総局が利治の告知義務違反による本件解除原因の存在を知ったものであると主張する。

しかしながら、利治に返送されてきた入院給付金請求書(保険金・給付金等請求書、前記甲第一〇号証の二)には、受取人欄右側に押捺を要求されている利治の受取印がなく、形式的な書類不備があり、また、被告の支部及び支社受理印、本社・総局受理印のいずれも押捺されていないことが明らかであり、右事実に、証人細川隆(被告の関東総局保全部次長)が、右関係書類は、外務員の段階で利治に送り返されたと聞いており、被告の関東総局には到達した形跡がないと証言していることをあわせ考えると、右(二)認定の事実経過があるからといって、右関係書類が同総局に到達し、前同日までに同総局が本件解除原因の存在を知ったものとたやすく認定することはできず、他にこの事実を認めるに足りる証拠はない。よって、再抗弁1は理由がない。

2  再抗弁2(解除権の放棄)について

右1に判断したとおり、被告が平成五年一二月一七日までに右解除原因を知ったとは認められないから、再抗弁2も理由がない。

四  以上によれば、原告の本訴請求は理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官河本誠之 裁判官前田博之 裁判官髙梨晴子)

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